aiさんの記事に関連しますが、偉大なギャグマンガの父に敬意を表して。


編集家・竹熊健太郎の「たけくまメモ」によると、最近になって赤塚マンガ再評価の機運が高まってきたとのこと。
実際、赤塚関連の書籍が発行されたり、特集番組が放映されたりと、じわじわと赤塚不二夫に対する動きが活性化していた。
たとえば、かつて雑誌「週刊少年サンデー」で赤塚不二夫の担当だった、武井俊樹の著書『赤塚不二夫のことを書いたのだ!』(2005年に文藝春秋から出版され、2007年05月に文春文庫で文庫化されている)。
武井俊樹は小学館入社以来35年間、赤塚番として天才ギャグマンガ家に連れ添った名物編集者。『赤塚不二夫のことを書いたのだ!』は、赤塚不二夫の周囲も含めたマンガ家の世界を中心に、当時の世相を交えて書かれた一種の昭和史でもある。
幼少時に赤塚マンガを読んでいた世代には、当時を振り返り、あらためて作品を読み返したくなる一冊だ。
あるいは、後にNHK総合の「プレミアム10」としても放映された、ハイビジョン特集「赤塚不二夫なのだ!!」(2008年3月16日午後7時~8時50分)
古田新太扮するバカボンパパをナビゲーターに、喜国雅彦、しりあがり寿、みうらじゅんによる三者対談あり、松尾スズキ作・アニメ「ニャロメ2008」あり、証言ドキュメント「赤塚漫画の真実」ありといった多彩な構成。あらためて赤塚不二夫の幅広い才能を印象づけた特集であった。
「赤塚不二夫なのだ!!」に関して元テレビプロデューサーの横澤彪は、彼の型破りで面白い人物としての側面をもっと描いて欲しかったと、自身のブログ「横澤彪のチャンネルGメン69」で述べている。
このほかにも、杉並アニメーションミュージアムで「赤塚不二夫と愉快な仲間たち これでいいのだニャロメ!」展が開催されたり、浜松市のマスコットキャラクターとして『天才バカボン』に登場するウナギイヌが「福市長」として採用されたりしている。
赤塚不二夫はギャグマンガ家として稀有の才能を持っていただけではなく、人材を発掘し育てる手腕も光った。アシスタントや編集者と共同作業でアイデアを出し、作画を分業制にしたフジオ・プロダクションからは、多くのマンガ家が輩出。『釣りバカ日誌』の北見けんいち、『ダメおやじ』『Barレモン・ハート』の古谷三敏、『総務部総務課山口六平太』の高井研一郎など、今も青年マンガの第一線で活躍している面々だ。
また、ジャズピアニストの山下洋輔らが東京に呼んだタモリ(森田一義)を引き留め、自分の家に居候させてまで売り出したエピソードは有名。作家の筒井康隆、映画監督の山本晋也などとも交友関係を持ち、東京・新宿を足場に飲み歩いた。
実際の赤塚不二夫はシャイな人柄であったが、常に人を笑わせたい、そばにいて欲しいという気持ちから過剰なサービス精神を発揮。それが疲労に繋がり、さらに酒に頼るという悪循環を繰り返していたと、当時のフジオ・プロダクションスタッフは語っている。アルコール中毒になり、ガンの告知を受けた後も、酒タバコを放さない生活を続けていた。
しかし、2000年に硬膜下血腫で手術した後、視覚障害者向けに触図と点字で描かれた日本初のギャグ絵本『よーいどん!』を制作するなど、創作への意欲は全く衰えたりはしなかった。
病床でも「人を笑わせたい」と繰り返していた赤塚不二夫に敬意を表し、この偉人の死を悲しむことはすまい。赤塚マンガの最先端『レッツラゴン』あたりを手に入れ、酒を飲みつつバカ笑いをして偲ぼうと思う。
うん。
これでいいのだ。

【関連URL】
・赤塚不二夫公認サイト これでいいのだ!
・青梅赤塚不二夫会館公式ホームページ
・早稲田大学人物研究会・赤塚不二夫会見録
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